取り組み
引き継がれる想いを品質へ
世界の物作りを支える存在であるために
「はんだこて」という商品を身近なものに感じる人はさほど多くはないかもしれません。
「子供の頃に、はんだこてを握って何かをつくった」などという人は、むしろ少数派でしょう。
しかし、はんだこては我々の社会に無くてはならない道具です。なにしろ家電製品からスマホに至るまで、あらゆる電機製品の中に仕込まれた配線や電子部品のすべては、はんだによって繋がれているからです。
お客様の心にぐっと来る製品を創りたい
私たち太洋電機産業は、現代日本において年間約200万本が生産されるはんだこての内6割を生産するという大事な役割を担うトップメーカーだと自負しています。その設立は1965年、決して早いスタートでは無くすでに多くの大手家電メーカーが確立していた当時から現在の役割を担うまでには多くの苦難がありました。
設立当時の事を 先代社長 藤井 至(1926-2008)はこう語っていました。
「お客様の心にぐっと来る製品を創りたい」
先代社長は農業を営む親を持つ農家の小倅、当時の日本は高度経済成長期にあり国内農業も活発な時代、しかしそんな中にあっても先代社長の心にあったのは危機感と大きな志でした。 「国外の広大な敷地を使った広域農法には太刀打ち出来ない、農業ではとてもじゃないが一番になるのは難しい」「これからトップを目指せるジャンルは何か?」
そんな想いの中、かんがえに考えた末に辿り着いたのが「はんだこて」でした。
連日昼夜苦労の連続
しかし当時のはんだこてといえば、「こて先が銅製で1日で酸化して減ってしまう」「ヒーターの効率が悪い」「家電メーカーの工場で部品を毎日交換するのが常識」というお世辞にも扱いやすいと言える製品ではありませんでした。
そうした製品の実態もあり、義兄を社長に自身は専務となってスタートした会社でしたが、順風満帆とは行かず、社長である兄は製品開発、専務である自身は営業、と連日昼夜苦労の連続でした。長寿命で早く温まりすぐに使えるはんだこてをお客様へ届けたい。それにはまず製品の改良を行う必要がありました。とはいえ画期的な新商品は一朝一タに生まれるものではありません。最初に取り組んだのは「こて先を早く温める」事。
まずはヒーターに銅パイプを密着させて被せてみました。結果として温まるのは早くなったのですが、銅製のこて先はすぐに減ってしまいヒーターが露出。それではと真諭の凸状のキャップをつけてみたのですが、真諭とはんだが馴染んでしまいすぐ使えなくなってしまいました。改善の為に取り組んだ事の失敗で問屋の信用を無くして、販路を失った事もあったといいます。
起死回生の鋳込みハンダこて
起死回生となったのは「鋳込みハンダこて」。アルミでヒーターを鋳込んだもので、従来の製品よりも「高耐久」で「すぐに使用できる」画期的な製品です。これを自ら東京の秋葉原や、大阪、福岡などの街角に立って宣伝しながら売ったそうです。その優れた品質により多くのメーカーから次々と商談が持ち込まれるようになり大ヒット。「長持ち一生物」の評判は瞬く間に全国に広まって行きました。ようやくこの分野で生きて行ける手ごたえを感じた瞬間だった、といいます。
そして更なる躍進のきっかけとなったのが「ピストル型即熱はんだこて」。コンセントにプラグを差すだけですぐに使え、温度を強弱2段切換式で調節できるという、現在のはんだこての雛形とでも言うべき製品で「当時プロ電気工事士の8割が使っていた」と、先代社長は振り返ります。
世界の物作りを支える企業として
そうして当社は時代とともに変わる、はんだこてのニーズに素早く対応しながら進化し、評価を確固たるものにしてきました。
創業から50年が経ちましたが、商標「goot(グット)」にある通り先代社長の想い「お客様の心にぐっと来る製品を創りたい」はしっかりと受け継がれています。現在は世界約60カ国へと販路を広げ、こうした製品は海外からも高く評価されています。
温度も素材も千差万別なはんだつけ、当社ではそうした周辺技術も含め、ハンドツールからロボットまで、「はんだこて総合メーカーとして世界の物作りを支える」企業でありたいと願っています。